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働かなくても生きて行ける程の餌を与え続ければ、例えそれがギリギリの生活だとしても、人間は腐る。
*腐る-食べ物が細菌の作用によって変質し、食べられなくなる。腐敗する。いたむ。 腐るとは上記を表すが、ここで言う腐るは、ただ生きているだけという無気力化である。 この状態に陥っているかどうかを知るには客観的視点が必要だが、その分野においてそれほど難しい部類ではない。自己嫌悪に陥っているなら、あなたはもう気付いているか、気付き始めているだろう。 これは今まさに、現在進行形で筆者が感じている心情である。 人類の基準、とまで大袈裟なことは言わないし、もしかすると筆者が特別怠惰な性格という可能性もあるが、これは大部分の人に当て嵌まるという感覚は、それほど外れていないだろう。 先に述べたように、腐るという感覚を覚えるまでは直ぐだ。しかし次の段階を経るには、少々時間を必要とする。 それは、このような想いをしているのは、養って戴いている恩を忘れて飼い主の責任だという根も葉もない恨み、それが誤りだと気付くことである。ここに至る際はもう一段階檻を拡げて、少し上空から自分を眺める必要が出て来る。 さて表題についてだが、ベーシック・インカムには、この生かさず殺さずに近い状態を創出する可能性が大いにある。それも一国の国民すべてを巻き込むという、大変な規模のものだ。 与えられることが当然、また飼い主クラスも同様に享受出来ることから、心境に若干の違いは生まれるかもしれない。 しかしそれでも、筆者のような順序を辿るものが続出するのではないかと推察する。 これは大変時間の無駄である。 人間は論理・効率的に動かない。もしその様に設計されているのなら、生まれた瞬間から夢を携え、一心不乱にその為だけに人生を全うしただろう。我々は無駄から学び、だからこそ時間は尊く、だからこそ同じ人間同士で差が生まれるのである。 果たして算数・国語のように、「飼い主を恨むのはお門違いですよ」と全国民へ自主的に気付かせる為の政策を、施行する必要があるかという問に対しては、甚だ疑問である。 ※ 無駄な管理業務を撤廃することに依り、本来掛かったであろう人件費を国民へ還元、若しくは別の政策の費用に充てるという試みは、素晴らしいシステムと感じている。 今回筆者が述べたのは、人間は凡そ思ったとおりに動かない、何故社会主義が失敗したのかということに他ならない。 PR |
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