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一昨日(2010/05/28)、遂に日本でもiPadの販売が開始された。
世間の皆さんが口を揃えてその端末を絶賛する中で、未だにiPad、iPhoneさえも所有しない筆者がその素晴らしい賛辞に水を差すエントリを届けたい。 ※あくまでもiPadとはこんな物だろうと想像しながら書き連ねます 1)iPad帝国が10年続くと、世界も10年止まる 産まれたばかりの子に鞭を打つような物言いだが、僕には今世間を賑わせているiPadが危険に見えて仕方ない。 恐らく先日iPadを手に入れた方は、今とても満足されている事と思う。素直にそれは羨ましい。 【僕は今、時代の先端を知る術を手に入れた】 この様なご意見にも反論はしない。 しかしどうやら世間には、『ここで一旦腰を落ち着けるか』という空気が蔓延している様子だ。 それはこの先にまだまだ潜んでいる技術の進歩を遅らせる事になるのではないだろうか。 iPadが21世紀最大のツールとまで迷信してしまっている方すらいる。 僕が抱いている何とも言えない感覚については、最後に譲る事とする。 ここから暫く、iPadの持つ可能性と弱点について言及していく。 2)そもそもiPadはビジネスマンにとって必要か? これは以前から自身に問い続けて来た質問だ。 機能の面でいえば、iPadに出来てパソコンに出来ない事はないだろう。 何故パソコンが爆発的に普及したかは、それは情報化社会に於いて無くてはならない物、それさえあれば様々な作業を簡素化出来たからだ。 iPadについても同じ事がいえるはずだが、それは単に選択肢が広がったというだけで、業務上、さして新しいモノを運んで来てくれるとは思えない。 また『仕事も出来るよ』という声は散見されるが、『iPadの方がパソコンよりも仕事がし易い』という声は未だに聞こえて来ない。 3)iPadの優位点 操作性の面でいえば、どうやらiPadはパソコンよりも簡単に扱えるらしい。 つまりお年寄りから幼児まで幅広く操作対象とする。 すると何が起こるか? そこには新しい市場が形成される。 例えば小学生でも扱える電子教科書端末の参考、若しくはそれ自身になったり、お年寄りと若者を繋ぐ(家族間も含む)コミュニケーションツールともなり得る。 「2」の回答にもなるが、今後iPadがもたらす市場への進出を目論む方にとって、端末を熟知する事は極めて重要だ。持ち合わせておりませんでは済まされない。 しかし広義では、ビジネスマンにとってiPadはニンテンドーDSとさして変わらぬものとなってしまうのではなかろうか? 4)iPadから生まれる悲劇 僕は最近パソコンの前に座る時間が増えた。ブログを書いたりネットから情報収集するためだ。 その中には"必要でない時間"も多く含まれる。 これは僕がiPadに対して危惧している部分で、iPadは恐らくパソコンとは比較にならない程のエンターテインメント性を含んでいる。 誘惑に打ち勝つ方もいるだろうが、確実にiPadに依って時間を奪われる方は増える。 そしてそもそもiPadの誘惑に打ち勝つような方は、iPadは必要ないのではと思うのだ。 5)iPadの劣位点 iPadは大きい。あくまでもiPhoneと比較すればの話だ。 あのサイズの物を扱う場合、実は場所がある程度限られる。 電車に乗りながらふと思ったのだが、まず電車の中で使用する方は殆どいなくなるだろう。 あの揺れの中、両手を端末に委ねるのは不安だからだ。 車内で使用出来るのは座っている方、または壁にもたれている方に限られ、壁にもたれている方もギュウギュウの満員電車内では使用が困難となる。 同様の理由で歩きながら使用する方も少ない。 その困難さは携帯の画面を見ながら歩くのとでは比較にならない。運転しながら画面を見るなど、持っての他である!!(絶対出てくるけど) またiPadで通話出来れば電話はいらないと仰る方もいたが、僕からすれば「まさか!?」である。 その方は歩きながら通話する必要がないのだろう。 iPhone(iPod)がこれからも必要と僕が思うのは、上記の様な理由からである。 ただ小さくしただけであっても、実はかなり違うニーズも孕んでいるのである。 6)比較・総合 以上を踏まえて、iPadとは何か?をまとめておく。 ・iPadの何が優れているか 3でも述べた通り、iPadは新たな市場を産み出す可能性を秘めている。 それはパソコンとは異なり、近寄り難い物ではなくなった。 また机に置いて皆で共有できる事に依り、テレビとパソコンの中間を担うツールとなるだろう。 これは現在盛んに叫ばれているSNS(ソーシャルネットワークシステム)に多大な影響を及ぼす。 ・その他の端末との違い 5で指摘した様に、iPadを使用する場はノートパソコンより広く、iPhoneより狭くなるだろう。 確かにノートパソコンを出し入れするのは面倒だが、同じ喫茶店に行くなら大して手間も変わらないし(起動時間は大幅に短縮されるが)、またポケットに入らない、片手で操作出来ない時点でiPhone(iPod)とは似て非なる物となる。 7)この先に見える世界 結論から言うと、やはりiPadは時代の最先端を行く者には必要である。 これだけ否定しておいて何を今更という感じではあるが、今最も重要なのはどこでも出来るコミュニケーションであり、それはウィキペディアを見ても分かる。 単なる書き込みの群れが、時として百科事典すら凌駕する時代となった。塵も積もれば何とやらだ。 しかし、これで終わりだろうか? 本当に我々はあんなデカい物をこの先も持ち歩かなければならないのか? 僕はそうは思わない。 もう何年も前の映画から、ホログラムにより情報を宙に映し出すシーンが繰り返されている。 更に言えば、電極を直接頭に差し込んで情報を脳にダイレクトに送る事も可能になるとさえ、僕は思っている。 そんな時代が来れば、もうインターフェースなんてのは必要なくなるんじゃないか? 思考は現実化すると言われるが、もし世界中の人々がこの偶像化された未来のツールを終末と考えてしまえば、そこで世界が止まる。 今世紀は奇しくも人口が頂点に達するという説もある。 この最も可能性のある時代の一つに於いて、この目に見える端末に人々があまりにも狂喜乱舞する姿を、僕は素直に喜べないでいる。 PR |
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