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底を打つとは株価が下がり切ったときによく使われ、その後は上昇に転じる。
ただこのタイトルの様に使うと何故か不快感が漂うが、今回はそれ以上に不快な内容となる。今回のタイトルには真反対の意味で、日本の経済が天井に達したという意味で使用している。 この議論は多分されてると思うけど、あんまり大手を振って話せるモノではない。 『あんたの国は終わったよ』という死刑宣告だからだ。 ■日本の一人当たり豊か度 まず現在の状況をよく考えて欲しい。 9割以上の人が一応食えてるはずだ。廃棄弁当まで出て、無残にもその殆どは捨てられてしまう。勿論それらは肥料等になり、結局何かの役に立つというのは僕の持論だけど、それにしてもその作業工程は、エネルギー効率的に見れば無駄になっただろう。 こんな状態で、殆どの人が生活出来てるのは果たして普通なのだろうか?誰かが犠牲になってるはずだ。 僕は日本の政策はどうだろうと思う事があるけど、国が借金してみんなが助かってる、という可能性もあると思ってる。そして借金借金と騒がれているけど、果たして借金の代わりに引換のモノがあるはずだ。 途上国の資産が周り回って生活を豊かにしてるのではないか? あるデータに依れば、世界の貧困層の4分の3が途上国の農村地区に住み、その数は9億人に登ると言う。 ※これに関しては、まだ調査不足である。 貧困を経験した事があれば、程度など関係なくその瞬間は「僕が世界で一番苦しい」くらいの気持ちになる。僕の経験は大したことないけど、それでもご飯や水がなくて死ぬかもと思える瞬間は、恐怖というより虚無感を憶える。 その裏で僕たちは生活している。 だから皆さん、寄付しましょう・・・今回はそういう類の話ではない。 PR |
最後に、今回4部作の最も強いメッセージ部分について。
僕が【個人の時代だ!】と思い始めたのには、もう3cmだけ深い訳がある。 人口の推移だ。 日本の人口 vol.1 http://www2s.biglobe.ne.jp/~kobayasi/area/population/popu_1.htm ※タイトルは「日本の人口」ですが、世界の人口も掲載されております。 また世界人口白書にはより詳しい情報もございました。 2050年に世界の人口は80~100億人超に達すると言われている。 しかし2006年から日本では人口減少に転じたように、世界各地の先進国でも同じ現象が見受けられる。 フランスなどのヨーロッパ先進国では、2020年頃からまた人口増加に転じると言われ、アメリカについては現在も増加し続けている。 中国は一人っ子政策の影響から、2020年には減少に転じると言われているが、それまでは毎年800~1000万人増加し続けると専門家の方々。 僕はその興味深い研究レポート群の中である事に気付いた。 「どの記事も2050年までの予測が殆どだ」 その後の説は様々であるが、一つ重大な事がある。 それはインドの人口が、2050年を境に減少に転じるかもしれない。 インドの人口増加率は凄まじい。 実際2022年には中国を抜き、世界で最も人口の多い国家になるだろうと言われている。 またインドを訪問した友人からは、『あんな沢山の人、正確に数えらんないよ。』と。 つまりドラゴンボールで言うところの【悟飯】みたいなもので、潜在能力は計り知れないという事だ。 その国の成長が止まったとき何が起こるか? 僕は間違いなく世界の人口が減少に転じると信じている。 そして【人口の減少=経済の縮小】だ。 誰でも自分は主人公のはずだし、やはり自分の周りにはドラマチックな事が起こって欲しいと願うはずだ。 薄情者だが、僕は死ぬまでに人類の転換期が見れると思っている。 そしてだからこそ、これまで拡張を続けて来た国家の権力が 国家⇒企業⇒人 へと移り変わっていくと予期する。 そしてその無言の力に反応し、世間では「小さな政府」と騒がれているのではないか。 インターネットにより、世界は瞬時に繋がる。そこには国家はなく、【個人 対 個人】が展開するばかりだ。 この集団とは呼べない、薄く繋がった個人から成る液体のようなものに、大きな国家は溶かされていくだろう。 p.s. だからこそ人類は宇宙に出るべきだと思う。 『宇宙?そっち系?』などと言ってる場合ではなく、必要に迫られたときソレは一気に進むと期待している。 第一章冒頭文のお詫びではないが、堀江さんが関わる宇宙開発に興味を抱かずにはいられない。 そして、やはり時代を動かす人が自分以外にいる事を、嬉しくも、悔しくも想う。 |
さて、ここで個人へと話が移る。
マイクロソフトで有名なビル・ゲイツさんは、その資産ほぼ全てを自身の運営するビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団に投資する事を決めた。 Re: ビル・ゲイツ夫妻&バフェット氏、11兆円寄付する真相は? http://www.asyura2.com/0601/bd44/msg/509.html 投資というか寄付だ。賽銭箱にバフェットさんと併せて約11兆円のお金を投げたのだ。 運営団体で遣い方を決定出来るとは言え、手元に戻ってこないお金である。 ここで興味深い記事がある。 個人が国を買うことは可能なのか? - 教えて!goo http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1242905.html ナウル共和国の2008年度のGDPは3690万$相当。 マイクロソフトが一年で生み出していた利益より当然少ない。 ナウル共和国の基本情報 2008年版 http://hiki.trpg.net/BlueRose/?RepOfNauru-basicData2008 マイクロソフト、2008年度第4四半期ならびに2008会計年度の決算を発表、600億米ドルの年間売上を達成 http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=3490 だからと言って単純に国家を買収できるワケではないが、【お金=権力】なら【ビルゲイツ>ナウル共和国】だ。少なくとも何かしら発言出来る可能性はある。 ※ちなみにナウル共和国は貧しいとされる国ではない つまり企業だけではなく、個人でさえも国に対して発言権を持てる時代になり、先日の【Google 対 中国政府】は、その警鐘を鳴らしているのではないか?と僕は思い始めた。 そして、その動きは水面下で今までもあったかもしれないが、これから加速度的に起こり始めると予期している。 次回は最終章となる。 テーマは21世紀という時代についてだ。 |
ここで少し話が逸れるが、法律とは元々弱者を守るために出来たものではない。
法律 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CB%A1%CE%A7 偉そうに述べているが確信はない。僕の推論では、だ。 というのも、「あるルールを守らせないと不利益を被る人が存在するから」とリンク先には記述されているが、「どうして法律が必要になったか?」という事に想いを巡らせてみると、想像出来るだろう。 ◆狩猟時代 例えば狩猟時代、一人の男がマンモスを捕える。 肉の塊となれば、いかにマンモスと言えど恐れる事はない。そして皆食べたい。 この頃既に取り決め(法)があったかは定かでないが、この状態だと弱者は労力を使わず、おいしいそうにマンモスの肉を頬張る事が出来る。 しかしココで『ちょっと待てキミたち』だ。 【最低でも戦闘には参加しろ】 なんて法律が出来ても可笑しくないだろう。 そして、マンモスを倒せるのは弱者ではなく強者だ。 ◆農耕時代 農耕時代でも同じ事が言える。 畑を耕すのにマンモスキラーはいらない。どちらかと言うと忍耐だ。 農民:『さて今年は豊作だった。後はおかずに魚でもあればな~。』 ここで魚屋さんの登場だ。 設定は難しいが、ここでは漁師が最も難しい仕事としよう。 更にこの村では漁師1人に対して、農民が10人とする。 農民:『漁師さん、米1kgとその鯛を交換しておくれ。』 もちろん 漁師:『ちょっと待てきさん!』だ。 明らかにこの村での魚の価値は高い。 自分で作らなくても食べれるお米と、順番待ち、下手すれば競りでも始まる勢いの魚では、同質量での交換は成立しない。 ここに付加価値が生まれる。 かくして漁師は、米20kgに対して鯛1kgという交換レートを定めた。 が、これは漁師の気分で変える事が可能である。 人間同じ物ばっかり食べてたら飽きるので、コレは本当に仕方ない。ゲテモノにさえ、常人には理解できない程の付加価値が搭載されている。そしてそれがそのまま権力に繋がる。 もちろん漁師と農民の立場を入れ替えても説明出来る。 つまり法律は、強者の利益を守るため、最低でも権力者(今回はマンモスキラーと漁師)の意思を反映するために誕生した可能性が高い。 【弱者に平等に分配するという機能を果たすため生まれた】 でもいいけれど、結局強者に有利な法律が乱立しているのだから、それが目的であったなら「法律」というシステム自体が失敗だったと言わざるを得ない。 そして現在、企業がその力を身に付け始めている。 いや、元々持ってたのかもしれないけど、少なくとも現在まで国家買収という程の騒動は記憶にない。 次回はいよいよ個人の話しへ。 |
以前堀江さんのブログで「国と国との競争」という言葉を目にしたとき、違和感を感じた。
民主党が税制改革に向けて動き始めた/検察・マスコミの生贄 http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10487977565.html 現時点では確かにそうだし、その言葉の裏にこれから僕が述べる私見も含まれている可能性もあるので、その言葉を否定したいというワケではない。 筆者が記述しない行間を読むのは楽しいが、それもやはり私見なため、時として対立が起こるのはご勘弁頂きたい。 21世紀、恐らく歴史上最も多くの企業(正確には会社)が誕生する時代になるだろう。そしてタックスヘイブンを求め、様々な企業が様々な土地で誕生する。国家は沢山の優秀な企業に税金を落としてもらう為、企業誘致の政策に思考を巡らせる。 これはまさしく「国家間の競争」であり、国家を維持するためにはお金が必要なのは言うまでもない。仮に社会保障は個人で管理出来るとしても、交通整備・軍隊などやはり国家は必要と言わざるを得ない。 しかし僕がここ最近肌で感じているのは、更にその先の競争だ。 まずは企業。 Googleが国家と意見を対立させたのは記憶に新しい。 Googleの検索サービス、中国本土から「撤退」し、香港経由で継続 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0324&f=business_0324_029.shtml しかも相手はあの中国政府。 GDPで日本を今年中にでも抜こうかという、世界第3位、若しくは既に世界第2位の国家だ。 結果としてGoogleは撤退したものの、中国政府にとって3秒で解決出来るシナリオではなかったはずだ。明らかに企業が力を付け、国家すら脅かす存在になりつつある。それもGDPでTOP3に入る程の。 もしGDPで少し下位の、それもGoogleに偏ってる国であったならば、法律を変更せざるを得なかったかもしれない。 次回はその法律について少し。 |