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と、大袈裟なタイトルを付けてはみたものの、僕自身まだ十分に理解出来てない部分がある。
僕の認識下のソーシャルネットワークシステム(以下、SNS)の利点とは、よく言われている双方向通信に依る恩恵だろう。 発信だけでなく受信も可能になる事で、例えば自身のブログの誤りや、更に詳細な情報を閲覧者から提供される。 そのまま削除→修正しても良いが、どこに誤りがあったかを残すことに依って、同じ考えを持っていた人も「見るだけで」管理人と同様に成長する事が出来る。 wikipediaはその最終形に近いモノではあるが、やはり管理人がいないため、どうしても感情というものはそこから感じ取ることが難しくなる。それに依って上で述べた一緒に成長しようという試みは、誤った文章と共に削除されてしまう。取り扱う情報の範囲が広過ぎるという難点もある。 そういった意味で、僕はやはりブログに大変な可能性を感じている。 twitterは素晴らしいがその機能(140文字以内)故、TL(タイムライン)が無限に広がり、果たして人々がどの様に議論してきたかを追う事が面倒に感じられてしまう。 twitterとブログは別のモノと見るのが正しい。 ブログというのはまさに研究者向けのツールだ。 まず自身の発信があり、それに対して反論が(世に声が届けば)ある。自己研磨を怠らない方であればその反論を検証するだろうし、それが自身にとって有益なものであれば取り込む事が出来る。 そうして一つのページが改良に改良を重ねられ、やがて当初思いもよらなかった魅力的なページに仕上がるのである。 しかしここで、残念な状況と残念な機能がある。 どうでも良いコメントと感情を大にした誹謗中傷、そしてコメントを管理人の手で抹消出来る機能である。 ・どうでも良いコメント 基本的に無視すればよいのだが、それが多くなればなるほど後の議論に支障をきたす。要は見栄えが悪くなるのだ。モチベーションの略奪と言っても良い。 また書き込んだ本人が意図しなくとも、後に訪問したものを惑わすコメントに仕上がってしまう事もある。これはどうでも良いコメントとはまた別物だが、それがあまりに多くなってしまうと管理人はそれらへの対処を放棄してしまう。 しかし中には笑顔を誘うようなものもあり、単純にそれらが要らない物とは言えない。 ・感情を大にした誹謗中傷 こちらも中には笑顔を誘うものもあるが、大抵がたっぷりの皮肉を纏っているため笑えないものが多い。 感情を大にしたコメントは見苦しいものがあるが、それは意見の食い違いから訴えかけた結果に依るものが比較的多いため、僕自身はそれほど悪いものと認識してない。 最も性質が悪いのは、感情は表に出さず、しかし語気だけは激しい類のものである。これは本当にデータの妨害でしかない。 (ここから今回最も述べたい部分) ・コメントを抹消出来る機能 そして上の2つを受けて、ついにSNSの恩恵を放棄するこちらの機能が産み出された。 僕は、コメントを削除してる管理人は一体何がしたいのかと思ってしまう。それなら最初から新聞にでも寄稿すれば良い。そのスタイルを続ける方は一部を除き恐らくかなりの自信家だと思うが、あなたの発信した情報がいつまでも正しいとは限らない。 そこには『オレは知ってる』、『コレを読め』というものしかなく、「ここはこうした方が良い」という言葉は存在意義を無くしてしまう。それ程正しい情報なら、新聞掲載にトライする事も可能だろう。 最もショックだったのは、以前のエントリに記述したが、池田信夫さんのブログの一連の流れだった。 もちろんコメントを削除するかどうかは管理人の自由だし、削除すべきコメントは実際多い。しかし僕が目の当たりにしたのはそれとはまた別の光景だった。 彼は自身のエントリに対する反論を削除した。 しかしただ削除しただけではなく、反論に対するコメントを一度挟み、更にそれに対する反論を受けた後、最初のコメントも含め削除したのである。 そのときの内容を詳しく憶えていないため池田さんに対しても本当に申し訳ないが、反論自体は彼を認めつつもココは違いませんかというもので、誹謗中傷の類とは全くフィールドの違うものだと認識した。 そもそも削除するなら第一段階で削除すべきであり、それにコメントしたという事はその段階では議論する価値のあるものであったという事である。 彼等アルファブロガーは(恐らくとしか言いようが無いが)忙しい。実際コメントも殆ど"視れて"いないだろう。 池田さんのブログの素晴らしいところは、出発点が高い。つまりコメント欄が他のものと比べあまり重要ではないという事だ。 しかしだからこそそれを更に高める事の出来る貴重な反論は残して頂きたいし、現在の様に"追従者のみのコメント欄"を見ると、『あ~このブログには本当にコメント欄は必要ないんだな』と思ってしまう。 コメント欄が必要無いという事は、少なくともその範囲内ではSNSという言葉は存在しない。 そして僕はほぼどんな事にも言えると信じているが、どんなに出発点が高くても原点というものが存在する。そしてその原点が揺さぶられれば、高い位置ほど大きく揺れるのだ。 どんな理論だって見る人・見せ方を変えれば反論が生まれる。常に自分の主張に対しては、その瞬間瞬間で原点を振り返る事が大切である。 とは言っても彼のブログは文章構成・フォントなど、本当に読み手の事を考えて作られており学ぶべき部分が沢山ある。 本当にそれだけ読んでいれば大丈夫かなと、錯覚させるほどの内容もある。 だからこそ最後に「SNSの可能性」として声を大にして叫んでおくが、そんな素晴らしいブログでも必ず超える事が出来る!! 僕はそれがSNSを受け入れたモノと拒絶したモノの、決定的な差となると確信している。 一つの事に集中した人間の力は、計り知れないものになるだろう。 ※追記 ど~も最近池田さんに批判的になっていけないが、僕が目にした光景はかなり稀だったのかもしれない。彼に対して批判的なスレッドが(まぁ、沢山…)立っており、それに感化された可能性は否めない。 最近のブログでは反論も載せられているし、彼はその文体から誤解され易い可能性も高い。 少し過剰な反応をしてしまった事をここにお詫びする。 でもソーシャルの可能性についての見解を、曲げるつもりはない。 PR |
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